あるyoutube動画を観て感じたこと:なぜ彼は人生の大半をアメリカで過ごし、なぜ私は日本で過ごしたのか?

数日前に、youtubeである興味深い動画に出会いました。

それは桑港(そうこう)たかしさんという、サンフランシスコに44年間住んでいる71歳の日本人独身男性が作る動画でした。

2022年の秋ごろから始めたチャンネルのようでして、全部観たわけではありませんが、タイトルを参考にしながら10本ほどを拝見しました。

ちなみに「桑港」というのは、サンフランシスコの漢字表記ですから、桑港たかしさんというお名前は「サンフランシスコのたかしさん」ということで、仮名なのでしょう。

この桑港さんはすでに引退しておられるようですが、サンフランシスコ市内にコンドをお持ちで、そこで暮らしておられるようです。日本には弟さんがいらっしゃるようですが、30年以上会っていないとのことでした。ご両親はすでに亡くなっておられて、桑港さん自身17年間日本には帰っていないとのことでした。

動画では、何回かに分けて、桑港さんの半生が語られています。

彼は、日本の西の方の地域で生まれ育って、高校3年生の時に奨学生に選ばれて(おそらくAFSの奨学生でしょう)アメリカの田舎町で1年間過ごしたのだそうです。

当時、AFS奨学生に選ばれるというのは、英語のよくできる優等生だったのでしょうね。東京の名の通った大学に進学して、そこを卒業して銀行員になったのだそうです。

ただ、高校時代(日本の)も、大学時代も、友達のほとんどいない孤独な青年だったとのこと。彼にとって高校時代に経験したアメリカ社会に比べて、日本の社会や学校、あるいは会社は、とても息苦しいものであったようです。

結局、銀行を数年間で辞めて、28歳の時にアメリカに渡り、今に至っているのだそうです。

英語が得意だったとこと、銀行員時代からシステム関係の勉強などもしていたので、アメリカでは、契約社員として、ソフトウエアの日本語化や英語マニュアルを日本語に直す仕事、あるいは翻訳の仕事などをして生きてこられたのだそうです。

これは私の推測ですが、彼がサングランシスコ近辺で仕事をしていた時期というのは、ITバブルなどを挟んでシリコンバレーの全盛期ですから、契約社員であったとはいえ桑港さんもそれなりの報酬を得ておられたのではないでしょうか。

いずれにしても、今の私と同様、恐らく桑港さんも人生の黄昏時を迎えて、これまでの自分の生き方を振り返る気になられたのでしょうね。その中で、日本に対する複雑な思いにとらわれることなどもあり、そういったことがこういう動画を作成する同期になっているのではないかと推察いたしました。

私も若い頃には、自分が異邦人であるという思いにとらわれていた

実は桑港さんの半生を語る動画をいくつか見ながら、なんだか私の若い頃とかぶるものをいくつか感じて、時には胸が締め付けられるような思いにとらわれることもありました。

私も中学から高校の頃、特に高校時代は、本当に孤独な少年でした。友達もほとんどいなくて(高校時代は皆無でした)、いつも社会や学校に自分の居場所がないことを感じていました。高校に行っても、ただただ息苦しさを感じるだけで、よく授業を抜け出したりもしておりました。

授業を抜け出しては、近くのターミナル駅にある本屋に行って本を立ち読みして(読書は大好きでしたから)、授業時間が終わる頃を見計らって、素知らぬ顔をして家に帰っておりました。

あの頃は、外国に行きたくてたまらなかったですね。この息苦しい国から逃げたくてたまらなかったのです。高校時代は留学に関する本などもよく読んでいました。

ただ、当時の日本は(我が家も)貧しくて、とても留学する資金などありませんでしたし、優等生でなかったので桑港さんのようにAFSの奨学金を得ることなども夢のまた夢でありました。ですから、結局、日本の大学に進学した(せざるを得なかった)わけです。

だから、動画で桑港さんが語る若い頃のことの多く(日本で暮らすことに息苦しさを覚えたことなど)は、自分のことのようによくわかりました。

どこに分岐点が・・・?

このように桑港さんと私の若い頃は、けっこう似ているという感じがしたのですが、結果としては彼は44年間アメリカで暮らし、私はほとんどの期間を日本で暮らしたわけです。

その分かれ目はどこにあったのか?

少なくとも私についていえば、一つは大学時代の経験が転機だったのだろうと思います。

私は高校3年で父を亡くしましたし、桑港さんは大学時代にお父様が大病をして早く亡くなれらたのだそうです。

ですから、父との縁が薄かったということは共通しているのですが、私は桑港さんのように東京の「名の通った」大学でなく、地方大学(信州大学)に進んだのが幸いしたのかもしれません。

そこでたくさんの友人と交わることができましたし、信州の風土や文化、自然なども満喫することができました。大学時代もさほど社交的な人間ではなかったとはいえ、それでもあの鬱々として息苦しかった高校時代が嘘のようでした。

それから、アメリカに留学したのが、桑港さんのように高校時代でなくて、二十代半ばという、ある程度分別がついて、世界を相対化して眺めることができる年齢に達していたのも幸いしたのかもしれません。

当時(そして今も)、アメリカは尊敬すべきところのたくさんある国だと思っておりましたし、アメリカの一流大学には、日本の大学にない素晴らしさがあることを強く感じていたのは確かです。

しかし、その一方で、あの国は良いことばかりではないということも感じました。特に競争の激しさや建前としての正義や公正さの重視が、人間の生活にもたらす暗い影はあの国の負の側面だとも感じました。

国の成り立ちに由来する建前と現実に行われている激しい競争の重圧の中で、アメリカでは日本とは異なる意味合いでの息苦しさに喘いでいる人が少なくないことを随所で観察したりもしました。

あの国の精神科医の多さや、近年強まりつつある「政治的な正しさ(Political Correctness)」への反発などは(その延長にあるかもしれないトランプ現象なども)、アメリカ社会が普通の人々に対して与えているある種の圧迫感を象徴しているのかもしれません。(良いか悪いかはともかくとして。)

いずれにしても、二十代半ばという、自分の価値観や世界に対する意識がある程度確立しつつあった時期に、初めてアメリカを(そして海外を)経験した私の目に映ったアメリカは、良い面と悪い面の双方を伴う社会でした。

このようにアメリカの良い点と悪い点、そしてそれとは裏腹の日本の良い点と悪い点を比較した上で、30歳になろうとしていた私は、たまたまご縁のあった名古屋の公立大学に就職するという形で、日本に帰国したのでした。

きっと結論はないのでしょうね

たまたま見つけた桑港さんのyoutube動画から、いろいろと感じたことを書いてきましたが、結局のところ時間が逆向きに動くことはないわけですし、他人の人生を追体験することもできないわけですから、いくら考えても答えは出ないだろうと思います。

どう頑張っても私も桑港さんもあと40年生きるのは難しいでしょうから、残された時間が多少なりとも意義深いものであれば、それでよしということでしょうか。

最後に桑港さんの最近の動画のリンクを貼っておきます。関心をお持ちになった方は、そこから他の動画も辿ってみてください。

投稿者プロフィール

佐々木宏夫(ささきひろお)
佐々木宏夫(ささきひろお)
早稲田大学名誉教授。フリーランスの研究者。専門は理論経済学+ゲーム理論。Ph.D(ロチェスター大学:指導教授はポール・ローマー(2018年ノーベル賞受賞者))
インターネットラジオvoicyでパーソナリティとして発信中(「佐々木宏夫のアカデミア紀行」)。
趣味はスキューバダイビング(2023年10月に600本を達成)。還暦を過ぎましたが、隠居にならないように、研究、教育、趣味等で頑張っています。2022年12月からは東京と石垣島の2拠点生活をしています。

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