島が呼んでいる:石垣島にもう一つの生活拠点を作ったいきさつ

私が初めて石垣島に行ったのは、2011年の夏でした。友人と沖縄本島および八重山に旅行して、八重山では、石垣島、波照間島、そして与那国島を訪ねました。

八重山のお盆は、独自の旧暦カレンダーで行われるので、毎年お盆の時期は変動しますが、その年のお盆は8月15日頃でした。沖縄本島ではお盆の行事としてエイサーが有名ですが、八重山には島ごとに異なるお盆行事があります。

石垣島のお盆行事は「アンガマー」と呼ばれており、黄泉の国からやって来た老人と老婆とそれに付き従う、白装束で顔を隠した人々が、行列をなして各戸を訪ね、家の人と問答をするという不思議な行事です。(石垣島でも、沖縄本島から開拓民としてやって来た人々はお盆にエイサーを踊ります。)

波照間島のお盆では「みるく様」という神様が登場します。「みるく様」は「弥勒菩薩」がなまったものだという説もありますが、遠く西の国からやってきて島に豊穣と幸せをもたらしてくれます。また、波照間島のお盆行事では素朴な獅子舞も行われます。

この旅で私は八重山の習俗や自然環境などにすっかり魅せられてしまいました。これがその後長い期間にわたっての八重山とのご縁の始まりでした。

アンガマー(2011年8月:民家で行われたもの)
アンガマー(2011年8月:ホテルで行われたもの)
波照間島のお盆の獅子舞

ダイビングに始まり、ダイビングに終わる日々

2011年8月の最初の沖縄旅行をしたときに、私は沖縄本島近くの慶良間諸島で体験ダイビングはしましたが、まだダイビングのライセンス(Cカード)を持っていませんでした。

ただ、東京に戻ってからダイビングを本格的にやりたくなってしまい、結局都内のダイビングショップでライセンスを取りました。(この時の海洋実習は伊豆で行いました。)

ライセンスを取得すると八重山の海で潜りたくなってしまって、9月には石垣島にダイビングに行ってしまいました。今考えてみれば無謀極まりないことでした。まだ経験本数も10本前後しかなかった頃に、他のダイバーと混ざって船からダイビングしようと言うのですから、うまくいくはずがありません。

そのときから最近まで常連になったショップのオーナーのOさんは、男気のある方で、何とその時は私に専属のガイド(インストラクター)をつけてくれました。その方からマンツーマンの指導を受けて、何とか潜れるようになりました。もしあの時Oさんがそういう配慮をしてくださらなかったならば、多分私はダイビングを続けてはいなかった気がします。

こうして、安い航空券を探しては年に数回は石垣島に行くという日々がコロナ前まで続きました。ちなみにお金の節約のために、当時の(去年マンションを買うまでの)定宿は「おり姫の宿」という1泊3000円、シャワートイレ共用のゲストハウスでした。

最初の頃はとにかくダイビングをやるのが面白くてしょうがなくて、三泊四日か四泊五日で石垣にやって来ては、移動日以外の毎日ダイビングをしていました。

ところが、そのうちに相当な回数石垣に来ているにもかかわらず、自分はこの島のことを何も知らないと思うようになりました。

当時、ダイビングをやる日の一日の日程は、こんな感じでした。

まず、朝7時頃にダイビングショップからの迎えの車が来ます。それに乗って港に向かい、そのままダイビング船に乗り込んで、3本潜って午後3時頃に港に戻ってきます(昼食は船の上で食べます)。新型コロナが蔓延する前は、船からいったんショップの事務所に移動して、そこでログ付けをしたり、器材を洗ったりします。その後、ショップの車で宿まで送って貰いますので、宿に着くのは午後5時頃になってしまいます。ダイビングをやった直後はけっこう睡魔が襲ってきますので、宿でシャワーを浴びてから1-2時間は仮眠をとります。仮眠後に夕食をとりに街に出ますが、翌朝も早いので早々にして宿に戻って睡眠をとるという感じです。

まさにダイビングに始まり、ダイビングに終わる石垣島滞在です。

こんなことを何年もやっていると、さすがにこれはないなと思うようになりました。せっかく日本最長の航空路線に乗って石垣島まで来ているのに、島のことは何も知りません。そういう思いにとらわれて、あるとき滞在中一日だけダイビングを入れない日を作ってみました。

レンタカーを借りて島を一周し、昼は街から少し離れた食堂で八重山そばを食べ、夜は島の海の幸をメインにした美味しい夕食をとるといった生活は、ダイビングで1日のほとんど全てが終わってしまう生活とはまた違った味わいのあるものでした。

こうして、石垣島に来てもダイビングはほどほどにして、当地の人々や文化、自然風土などに触れることの比重が増していったわけです。

新型コロナによる訪問の中断とその後

このように、私が石垣島に通うようになった十数年間のうち、その後半になると、滞在中にダイビングをするのは時たまで、多くの時間はむしろ島での生活を楽しむことに費やすという風に滞在のスタイルが変わってきました。

そして新型コロナウイルス(COVID19)の問題の勃発・・・。

新型コロナ勃発前、最後に石垣島に行ったのは2019年10月26日でした。

その後は緊急事態宣言の発令などによって、数年間は石垣島に行くことができないままに約3年間が経過しました。そして、コロナ後最初に石垣に行ったのは、2022年2月でした。

それより前の2021年3月末に、私は早めの定年退職を選んで大学を退職していました。退職した年の9月には、東京のマンションを買い換えておりました。その買い換えにあたって考えたことは「終の棲家」を見つけることでした。そして、見つかった中古マンションは私にとって終の棲家としての理想的条件を満足するものでした。

ただ、その一方で、少なくとも元気なうちは2拠点生活をしたいと思って、東京以外のもう一つの住み処となる場所を探していました。

2拠点目の条件など、考えたことについては別に書きたいと思いますが、いろいろと考えた末に、沖縄本島か石垣島に良さそうなマンションがあれば2拠点目として買いたいと思うようになりました。

気持ち的には石垣島により傾いてはいたのですが、石垣島の場合マンションの物件数が圧倒的に少ないという事情がありましたので、まあ、沖縄本島に良さそうな物件があればそこでもいいかなと思っていました。

節を改めて、最終的に今のマンションに決めた経緯などをお話ししたいと思います。

マンション購入

まずは中古マンションを探しましたが…

沖縄で不動産探しをするためには、「うちなーらいふ」と「グーホーム」という2つの物件サイトが良いと言われていますので、私も主にそれらのサイトを使って物件探しをしました。

まず心を引かれたのが、石垣島の築数年の中古マンションでした。

実は現在石垣島で投資用でなく居住用もしくはセカンドハウス用にの分譲マンションを建築販売しているディベロッパーは、事実上一社しかありません。この会社(D社)は、鹿児島県にある会社ですが、私が石垣に通うようになった頃(10年少し前)に、港近くに1番館を分譲しました。

その頃は、「石垣島でマンションなんて売れるのかね?」という懐疑的な声もあった上に、D社も有名マンションデベロッパーではなかったので、1番館の販売にはそれなりの苦労があったようです。それでも多少時間がかかったとはいえ1番館を完売し、その後、信用も増していってD社は順調にマンション建設を続けていきました(同社は現在、6番館を販売しています。)

話は横道に少しそれますが、D社のマンション建設のコンセプトは「竹富島が見える立地に建てる」だそうでして、1番館から現在建築中の6番館に至るまで、ベランダから竹富島が見える立地になっています。

実は私が最初に検討したのも、D社が建てたマンションの3番館でした。

生活するのに便利そうな場所ですし、状態も良さそうな部屋でしたので、内見してもいいかなとは思ったのですが、一つだけ気になったところがありました。

それは、海に近すぎると言うことでした。

石垣島に限らず、沖縄で県外の人を主なターゲットにして建てられた不動産物件は、地元の人が住みたがらないような海のすぐそばに建てられているケースが多々あります。

話は横道にそれますが、沖縄の戸建て住宅を買ってそこでの生活をYouTubeで配信している女性タレントがいますが、その人の家はすぐ横が海岸線といった立地でした。

子供の頃、湘南の海のすぐそばの家で育った私から見ると「よくあんなところに住むなあ」と感心と言うよりもあきれかえってしまいます。

もちろん沖縄や石垣島は島ですから、どこに住んでも風害や塩害は覚悟しなければなりません。それでも、海にあまりにも近いところは避けたくなります。

そういう場所は、台風が襲来すれば建物に直接海水が浴びせられるかもしれません。その他、台風のことを思い描くと少しでも海から離れた立地の方がベターだと思ってしまいます。

 

新築マンションを購入することに

そんなこんなで、3番館の内見を渋っているうちに、D社が新築物件の5番館を売り出していることに気づきました。

5番館は3番館と同じエリアにあるので、スーパーや食堂なども近くにあり、住むための利便性は十分です。しかも、立地は海に面してはおらず、何百メートルか内陸に入っています。ハザードマップなどを見ても、津波や洪水などのリスクも引くそうです。

しかも、新築でありながら、検討していた3番館の中古物件の売り出し価格とあまり違いのない値段です。

どう考えても、私にとっては新築の5番館はとても魅力的でした。これまでなんとなく新築は損だという先入観にとらわれていたので、5番館が売り出されていることは知っていても、見向きもしていなかったというのが実情でした。

そんなことを考え出したのが2022年の春頃でした。

販売会社に問い合わせて、パンフレットなどを送って貰い、5月に石垣島に行って、建設予定地やモデルルームなどを見てくることにしました。

そういうことで、連休明けに石垣島に行きました。もっとも、ご存じのように新築マンションの場合、建物や部屋を見ることができるわけではないし、モデルルームも自分が買おうとしている部屋の状況を正確に反映しているわけではないので、そういう点では想像力を働かせて買うかどうかの決断をしなければなりません。

そうは言っても契約前に現地を見てきたことに意義がなかったわけではなくて、特に立地の生活利便性(スーパーなど生活に不可欠な店の位置、周辺の医院の位置、海からの距離と土地の高度、付近の交通量など)の確認ができたのは良かったです。

こういうリゾート地に建てられるマンションのでは、景色などが優先されてしまって生活したときの利便性が軽視される場合も少なくありません。

実は、新型コロナ直前に建てられた4番目の建物も検討したことがあったのですが、フサキという風光明媚な場所に建てられるマンションで、リゾートマンションとしては申し分がなかったのですが、近くにスーパーなどもないし、あそこで「生活する」となると大変だろうと思って買うのを諦めたことがありました。

そういう点でも、5番館はいずれ移住をも視野に入れている私にとっては申し分のない立地のように思えました。

実は2022年5月に石垣島に行った時点で、5番館は7割か8割くらいは売り切れていました。通例マンションの価格付けは、上に行くにつれて高額になっていきますし、安い部屋から売れていきますので、5番館についても比較的上層の階だけが残っている状況でした。

5番館の部屋のタイプは基本的には80平米台の3LDKと60平米台の2LDKの2種類しかなくて(最上階だけは特別な間取りでしたが)、3LDKは私にとっては広すぎるので、2LDKで売れ残っている中では一番安い8階の部屋を選んで買うことにしました。

そう頻繁に行くことができない場所なので、そもときに契約も済ませてしまいました。

準備:家具や電気製品などの購入

家具の購入:恐ろしく高い送料を免れる方法

このように、2022年の5月に契約を結んで、引渡しは秋か初冬くらいになると言うことでしたが(石垣島の場合、台風が襲来すると工事が中断するので、ディベロッパーとしても台風シーズンがすぎるまでは、完成時期について確定的なことは言えないようでした)、その前に家具や家電品などをそろえておかなければなりません。

これについては、住み替えでの引っ越しならば、基本的にはそれまでに使っていた家具等を運べばいいわけですが、東京の住まいをそのままにしておくためには基本的には新しいものを買わざるを得ません。

これについては、少し悩ましい問題がありました。

今は家具や家電品なども、アマゾンや量販店の通販を利用するとかなり安くで買えるのですが、家具などは大きいので送料無料範囲を超えるものも少なくなくて、けっこう高くついてしまうのです。しかも、業者によっては「沖縄の離島への配送はしません」と謳っているところもあります。

実際、新宿のある家具屋さんに良さそうな品物があったので、配達の可能性を聞いてみると「ご依頼とあれば手配いたしますが、基本的には引越荷物などと同じ扱いになってしまうので、恐らく何十万円かかかると思います」とのことでした。

実は石垣島には本格的な家具店は、T家具店だけしかありません。

例えば、ドンキホーテやホームセンターなどにも多少は家具を置いてはありますが、それらの店では品揃えも少ないし、ベッドなどはほとんどありません。

そこで、T家具に行ってみたのですが、品揃えも豊富ですし、店頭にないものはカタログで取り寄せてももらえるとのことでした。

値段は格別に安くはありませんでしたが、さりとてものすごく高いという印象も持ちませんでした。設置も無料でしてくれるとのことでしたし、むしろ通販等で買って送料や設置料を追加で払うよりは安い感じがしました。

と言うことで、当座必要となるベッド、ダイニングテーブル、そしてソファはT家具で購入して、入居日まで倉庫に保管しておいてもらうことにしました。

家電製品:ヤモリ対策と塩害対策

これについても、石垣島固有の問題がありました。

実は石垣島での生活のためにはエアコンは必須ですが、石垣島に限らず沖縄県でエアコンを買うときには注意しなければならないことがありました。

それは室外機の塩害対策とヤモリ対策です。沖縄県の家電店等で売られているエアコンの室外機には、塩害対策のコーティングが施されていて、「ヤモリガード」がつけられているのが普通です。

塩害対策のコーティングはなんとなくわかるのですが、「ヤモリガード」というのは、最初聞いたときには何のことやらわかりませんでした。笑

実は沖縄では、住宅などに普通にヤモリ(ゲッコー)がいて、むしろ幸運のシンボルと考えられていますが、このヤモリが冬の間にエアコンの室外機の中に住んでしまうと、死骸から水がにじみ出てしまい(ヤモリの身体の大部分は水分なのだそうです)それがエアコンの基盤をショートさせてしまって故障してしまうのだそうです。

それを防ぐために「ヤモリガード」という、ヤモリの侵入を防ぐ網のようなものをつける必要があるのだとのこと。

塩害対策とヤモリ対策が施されたエアコンは、通販などでは買えないので、必然的に地元の家電店や家電量販店で買う必要があります。

石垣島には、大手量販店のエディオンさんがあるので、そこでエアコンを買い、ついでに、洗濯機と冷蔵庫も展示品を安くで買えそうでしたので、まとめて購入することにしました。

内見・引き渡し・その後の生活

その後マンションの建築工事は順調に推移したようでして、11月頃に完成して、内覧会が開催されることになりました。

新築マンションの場合、内覧会は引き渡し前に不具合の有無などを購入者が自ら確認する大切な機会です。ただ、私は販売会社が設定した内覧会の日程で石垣島に来ることができなかったので、11月中の別の日程を設定してもらって、石垣島に行きました。

マンションはしっかりとしたできばえでした。当日は天気が良かったので、リビングに入った途端に八重山の美しい海が目に飛び込んできて感動しました。(内覧会の日にとった動画はYouTubeに載せましたので、下にリンクを張っておきます。)

カギの引き渡しは2022年12月5日でしたが、私は当日は用事がありましたので、12月8日に石垣島に来て、ホテルで一泊してから(それが石垣島で泊まる最後のホテル宿泊になりました)、翌日の12月9日にカギを受け取って、正式に入居しました。

その日は家具屋さんや家電店が家具やエアコン等の家電品の設置に来て、どうにかここで生活できる基盤ができました。

その後は、4月から7月までは大学の授業(非常勤講師としての)があるので主に東京に滞在していますが、それ以外の季節のかなりの期間は石垣島で過ごしております。

これら石垣島での生活については、別の記事を書きたいと思います。

「島に呼ばれた」

このように、私の石垣島での2拠点生活の開始の準備は、かなりスムーズに進みました。

去年(2022年)の春に具体的な検討を開始して、5月には購入の契約を結び、12月には入居ですから、こういった「大きな買い物」の割には短期間に話が進んだわけです。

石垣島に十数年前に移住してきて、セレクトショップを始めて成功した友人にそのことを話したら、彼曰く。「それは島に呼ばれたんだよ。これまでにここへの移住を考えているたくさんの人を見てきたけれども、縁のある人は佐々木さんみたいに短期間で決まってしまうし、逆に縁がない人は、長い間『移住したい』と言っていても結局話が進まないということもあるよ」と言われたことがあります。

「島に呼ばれた」

確かにそんな感じもします。それも含めて、すべてがご縁ということなんでしょうね。

投稿者プロフィール

佐々木宏夫(ささきひろお)
佐々木宏夫(ささきひろお)
早稲田大学名誉教授。フリーランスの研究者。専門は理論経済学+ゲーム理論。Ph.D(ロチェスター大学:指導教授はポール・ローマー(2018年ノーベル賞受賞者))
インターネットラジオvoicyでパーソナリティとして発信中(「佐々木宏夫のアカデミア紀行」)。
趣味はスキューバダイビング(2023年10月に600本を達成)。還暦を過ぎましたが、隠居にならないように、研究、教育、趣味等で頑張っています。2022年12月からは東京と石垣島の2拠点生活をしています。

詳しい自己紹介はこちら

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